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自作の津軽たこを持つ石山さん |
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本命「津軽たこ」を製作
日本の正月にはあちこちでたこを揚げる子供たちの姿があったものである。しかしそんな風景も最近はあまり見かけなくなってしまったが、鉾田市鉾田に住む石山昭さん(81)は小学4年の時に自作のたこが見事に空に舞い上がったのに感動して以来たこ揚げを趣味とし現在まで続けている。たこ揚げの楽しさや作り方を始め、日本の文化としてのたこを広める役目を担ってきた石山さん。たこで埋め尽くされた工房を訪ねその魅力を聞いてみた。
紀元前何百年も前に生まれたと言われるたこは、形や絵柄・目的などは違っていても世界中で見ることができる。それは鳥のように大空を自由に飛んでみたいという願いが人類共通の夢としてあるからであろう。
外国でも楽しさ伝える
そんな夢を乗せ、石山さんは「常陸凧の会」の会長兼「日本の凧の会」の本部世話人として、日本全国はもとよりアメリカ・ヨーロッパ・東南アジアなど数えきれない程の国々を妻の幸子さん(82)と回りたこ揚げの楽しさを伝えてきた。
たこの種類は日本だけでも350種類以上あるといわれ、その土地の風土や伝統によりそれぞれ特徴を持っている。石山さんもいろいろな種類を作っているが、常に「本命」とこだわり続けているのが「津軽たこ」である。
石山さんが青森県津軽市に通い、名人に習って作り始めたこのたこは、竹の代わりに骨に軽くて弾力性のある青森特産のヒバ材を使うのが特徴だ。絵柄は三国志の武将や水滸伝(すいこでん)の豪傑といったたくましい武者絵を和紙に1枚1枚手描きする。黒く太い線に赤を基調とした鮮やかな色彩が豪快かつ勇壮で、このたこが津軽の強い風と雪に負けずにブンブンとうなりを上げて空を舞う姿は実に見事。日本だけでなく世界中で人気がある。
また石山さんは「常陸八ツ凧」と呼ばれる茨城を代表するといわれていたたこを復元し、普及に力を入れている。常陸八ツだこは8つの竹の輪からできており、1番下の輪は先がとがっているのが特徴だ。しばらく途絶えていたのだが、30年ほど前、日立市の旧家で骨だけになって発見されたものを土地の古老などに話を聞きながら石山さんが完成させた。竹を1本1本丁寧に削り、8つの輪につなげていくのは根気がいり、神経を使う作業だ。これに地元産の西の内和紙を張り真ん中に家紋を描く。熟練を要する技術だが、出来上がった常陸八ツだこは見事なほど大空を舞ったという。
石山さんが毎年11月になると作り始めるのが来年のえとの絵を描いた飾り用のたこ。懇意にしている人たちにもらってもらおうと1枚1枚手描きで作り始めた。みんなが「毎年楽しみに待っている」と言ってくれるため、今では正月までに300枚も作る。
教師時代も学習指導の一環としてたこ作りを取り入れ、それにより子供たちの学習意欲が高まったなどの効果を上げた実績もある石山さんは、長い間たこにかかわってきたことで、その歴史や作り方などを調べたり書いたりしている。また参加したたこ揚げ大会や講習会、それに招待されて出掛けた国々での記念写真やバッジの交換などの思い出の品もきれいに整理保管しており、話を聞く間も関係資料が次々と出てくる。
「若いころ先輩に『趣味を2つ持つといい。1つは雨に家の中で出来る物。1つは晴れに外でする物』と言われました。たこは1つの趣味でその2つを兼ねているので一石二鳥です。また、たこは竹と紙から出来た単純な玩具だが奥は限りなく深い。うまく出来たたこが空に揚がったときの爽快感はなんともいえません」と石山さん。話を聞くうちに、昔を思い出したこを作ってみたくなった。
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