|
漢字・ペン字と師範の資格をとり81歳でかなの師範をとったという努力家の梅原さんと同人雑誌 |
|
|
|
1982(昭和57)年、忙しい野良仕事の傍ら58歳で書道塾を開く資格を取得し行方市小高の梅原精子(きよこ=清薫)さん(84)が教室を開いて27年。その愛情あふれる熱心な指導に多くの生徒が学び巣立ていった。しかし、80歳を過ぎてから目や耳の急速な衰えに加齢の厳しさを痛感。指導する自信を無くしたことからこの3月で教室を閉めた。「生きる力をなくしてしまうのではないかとなかなか決断できなかった」という閉塾。その胸のうちを聞いてみた。
58歳で書道塾開塾の資格 81歳でかなの師範も
折に触れ書き溜めた物をまとめた「大地のうた」「なお道とおけれど」ほか多数の本を出版するなど豊かな才能を発揮していた梅原さん。「鍬を筆に持ち替えて農婦発奮・書道の先生に」「塾開設の節目の年に記念誌出版」といった見出しで度々新聞の婦人欄を飾るほど注目を浴びてきた。
嫁いだ先は大きな農家。しかも夫がとび職の仕事で家を空けることが多かったため、梅原さんは女手で田畑2ヘクタールの農作業を続けてきた。機械もない時代に何十年も働き続けた体は、気がつけばがたがたになっており、きつい仕事は無理となった。息子に世代を交代した時点で「この後の人生を何か充実したものにしたい」と考えた。新聞の折り込み広告に書道の通信教育を見つけ、「これだ」と1年半の猛勉強で塾開設の許可を得た。「ちらしを見て8人の子どもが入ってきてくれた日のことは今でも忘れない」という。多いときは70人以上の生徒が通い、文部省検定の公的資格を受験させる一方、自身も漢字・ペン字と師範の資格を取り、81歳でかなの師範を取得。
また教室では書道をはじめ礼儀、道徳など厳しく指導する半面、毎回お菓子をあげたり面白い話や花の名前を教えたりするなどやさしいおばあちゃんとして大変人気があった。
「生涯現役」と頑張るつもりであった梅原さんであるが、書道教室は月4回の手本作り、添削、テストの準備、作品審査、整理、本部への提出、事務等多くの仕事をひとりでするためあまりに忙しい。大きな病気も何度か経験し、目や耳も不自由になってきたためついに閉塾を決断したのである。
しかしそんな梅原さんにはもう1つ長い間続けてきた大きな「生きがい」がある。それは18歳の時「全国青年団機関紙」に投稿した作文が宮沢賢治の愛弟子といわれた佐々木長悦郎氏の目に留まり、氏が立ち上げた農村文芸誌「きたかみ」の同士となったことである。その後「森」「森の子」と名前を変えながら成長していったこの同人誌を主宰し「ペンこそが命」との言葉どおり農家の日常や日頃自分が感じた喜びや悲しみを60年以上にわたって書き続けてきている。
同時に「生きている実感は自分の思うことを文章にして電波や新聞に載った時」との言葉通り同じ年数新聞やラジオにも投稿し続けている。その間の感じたことや投稿したものをまとめた自費出版の本も数多く出しており、「茨城の農村にもこんな才能ある素晴らしい女性がいたのか」と早くから関係者の間では注目を浴びる存在であった。
その人徳から1度は閉める決断をした書道塾も、1年後をめどに引き継いでもよいという人も出てきており「それまでは子ども達の指導を中心に何とか続けられたら」と話す梅原さん。座右の銘が「至誠一貫」という梅原さんの「小学校へも満足にいけない家庭環境だったので学ぶことへの欲望が私の身から離れないのです」の言葉が重く胸を打つ。
|
お問い合わせ:TEL0299-77-1622(梅原さん) |
|
| |
|