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伸びのある歌声はまだまだ健在。「“小林旭の七不思議のひとつ”がデビューのころと同じキーで歌えること。80歳になっても、“ダイナマイトがよ〜”って(高音が)出たらおもしろいね」 |
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「芸能活動の集大成に」ことしは全国55カ所ツアー
昭和の映画界が生んだ“最後”の大スター・小林旭さん(70)。芸能生活55周年を記念し、2月から全国55カ所を回る記念コンサートを行う。自身の集大成となる今回のツアーでは、歌に合わせて自身の出演作や時勢の映像を流し、定年世代の青春期を呼び起こす試みも。「昭和の語り部として、皆さんに楽しかった青春時代を振り返ってもらって、楽しむことの大切さに気付いてもらいたい」と語る。また、「用心深くやることが成功の秘訣(ひけつ)」と意外な一面ものぞかせた。
大スターは、約束の時間のだいぶ前に来ていた。日活の看板俳優として一世を風靡(ふうび)した小林旭さん。全国ツアーを目前に控え「このコンサートは、俳優としてデビューし、歌手として認められた半世紀以上にわたる芸能生活の集大成とするつもり」と語る。幕あいには過去の出演作や時勢のニュース映像などを流し、おなじみのなめらかなトークで昭和30〜40年代の青春時代を振り返ろうと企画している。
「逆さに勘定したほうが早い年ごろになってきたら、いかに悔いのない時間を過ごしていくかが大事だと思う。今回のコンサートで、楽しい思い出のページをめくりながら、お客さまがこれまで忙しさにかまけて忘れていたある種のゆとりを、ふっと思い出してもらえたら最高だね」
用心深さが成功の“鍵”
2008年12月に死去した遠藤実作曲の「アキラのズンドコ節」をはじめとするアキラ節、62年の正月映画「北帰行より 渡り鳥北へ帰る」の主題歌として大ヒットとなった「北帰行」など、これまで発表した曲の数は70曲以上。レコードデビュー時から、(声の)キーの高さは変わっていない。本人はこれを「小林旭の七不思議のひとつ」と笑う。歌う時は何も考えない。ただ一生懸命歌うだけ、と話した後、意外な発言もあった。
「いつも『うまく歌わなきゃ、声は出るかな』と不安感を抱きながらやってるよ。でも、物事ってそうじゃないかな。憶病になりながら、用心深くやることが成功へつながるひとつの手段じゃないかな、と思うんだよね。大胆不敵に吹っ切っていくと、そういう時はだいたい失敗する(笑)。これは絶対ものになる、という自信を持って飛び込んでいくと、ろくなことにならない気がするんだ(笑)」
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(C)株式会社マイトガイレーベル |
裕次郎と競う
そんな人生観を持つ小林さんの波瀾(はらん)万丈な人生はよく知られるところ。戦後の日本映画黄金期に日活の大部屋からスターへと駆け上がり、「渡り鳥」シリーズや「流れ者」シリーズなどで国民的スターに。しかし、映画の斜陽も味わった。私生活では美空ひばりとの“結婚と離婚”を経験。事業の失敗で大借金も背負ったが、後に歌の大ヒットを連発。浮き沈みの激しい芸能界を生き抜いてきた。
「当時は、(石原)裕次郎かおれか、毎週のように映画の看板を競い合って『どっちに客が入った』という生々しい競い合いをしてきたし、主役に課せられた責任を果たすために必死だった。いいものをつくろうという気持ちが役者だけでなくスタッフにもあって、スタジオの隅々まで緊張感が漂っていたよ。ベテランのカメラマンからはよく『その顔で銭はとれへんどー、何しとんじゃー、もっといい顔せえ』ってどなられてた」と、小林さんは振り返る。
昭和の語り部に
また、明暗ともに味わった自らの人生についても率直に語った。
「物事に波があるのは当然の話。(仕事がない時は)たまたま周波数が合わないんだな、と思って、いつ話が来てもいいような心構えさえ持っていれば自然に仕事は来るだろうと思っていた。実際にその通りになっていたと思うよ」
最近になって「映画界の一番いい時を突っ走ってきたからには、昭和の語り部としてファンの役に立たなければいけない時期なんじゃないか」と思い始めた。それが、全国55カ所を回るコンサートを行う理由のひとつだ。
「みんな、もっと楽しもうよ。『定年になったら』なんて言うのは、普段、やりたいことをやっていないからじゃないの? 楽しむための努力をすることが大事なんじゃないかな」
「小林旭 芸能生活55周年記念コンサート LAST DREAM in 東京」
日時:2月4日(水)午後6時半
場所:東京国際フォーラム(有楽町駅徒歩1分)ホールA
料金:S席1万円、A席6000円 チケットぴあで発売中
問い合わせ:アイエスTEL03-3355-3553 |
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