「ピアノを弾いている時間が長く、他のことをする時間がなかなか取れませんね」と話す中村さん。愛犬の「うるちゃん」を連れて散歩するのが「楽しくて気分転換になります」
ピアノの可能性追究
日本を代表するピアニストの一人、中村紘子さん(65)は、デビュー50周年を迎えた今、「人生は音楽とともに─ですね」と笑みを見せる。デビュー前から「天才少女」と呼ばれ、戦後日本の発展と歩調を合わせるかのように、世界各国に活躍の場を広げた。「ピアノは複雑な表現ができる奥深い機械」というだけに、「これからもピアノの可能性を追究したい」と話す。9月からは記念の全国ツアー。“進化を続ける円熟の音”を全都道府県に響かせる。
「ピアノが(近くに)ないと、そわそわしてしまう」。中村さんは“ピアノマニア”を自認する。「朝から晩までインターネットを見ている人に近いかも…」。練習は“生活の一部”とあって、「一日何時間やっても苦にならない」と歯切れ良い。
母親の疎開先の山梨で生まれ、終戦後、東京に移った中村さん。3歳でピアノを始め、音楽評論家の吉田秀和が初代室長を務めた「子供のための音楽教室」(現・桐朋学園大音楽部附属子供のための音楽教室)一期生になった。
複雑なメロディーも一度で覚え、周りを驚かせた少女時代。中学3年生だった1959(昭和34)年、第28回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)ピアノ部門第1位・特賞に輝き、「楽壇デビュー」した。
「芸術は人の心を育てる」
60年にはNHK交響楽団の世界一周コンサートで、ソリストに抜てきされ「世界デビュー」。当時、世界最高水準の音楽教育といわれたジュリアード音楽院(アメリカ)への入学を経て、65年のショパン国際ピアノコンクールで、4位入賞を果たした。
マスコミに大々的に報じられ“時の人”となった中村さん。その才能と表現力は欧米でも高く評価された。とはいえ「プロとして海外に出ていくことがどういうことか、分かっていなかった」というだけに、「わたしなりに悩み、紆余(うよ)曲折も経験しました」と静かな口調で振り返る。
撮影:尾形正茂
座敷にスリッパ
クラシック音楽を取り巻く戦後日本の変化も「身をもって体験した」。デビュー当初は設備の整った音楽ホールがほとんどなく、「(ピアノが置かれた)お座敷でスリッパを出されたこともあった」と苦笑する。しかし、中村さんは“日本の今”をこう語る。「聴衆のレベルは、世界のどこと比べても見劣りしないのでは…」。70年代以降、各地にできた音楽ホール、一流演奏家の来日公演の急増が「クラシック大国化を促した」と指摘する。
演奏を“さらす”
「演奏家には良き聴き手が必要」が中村さんの持論。「わたしも全力の演奏を“さらす”ことで成長させていただいた」と話す。これまでの公演は国内外を合わせ3500回以上。50周年記念ツアーとして、来年7月までに全都道府県での公演を予定しているが、「体力的な不安はないですね」。日々の生活に筋力トレーニングを取り入れており、「筋肉は60代でも鍛えられるという実感を持てた」と笑う。
ピアノを「極めて高度な精密機械」と評する中村さんは、「ピアノには、もっと(表現の)可能性があるのでは─と考え込む時もある」と衰えない向上心を見せる。16日(水)発売の記念アルバム「Hiroko Nakamura at 2009」(3万6750円・CD9枚とブルーレイ・ディスクなどのセット)の収録曲を、ことし5月までに2年半かけて録音した。「若い時の録音に満足できないものもあったので…」。自身の技術的な充実を感じる今、「音楽への想像と表現も、年を重ねるとともに複雑になってきた」と手応えを語る。
数々の国際ピアノコンクールで審査員を務めた実績などを生かし、若い演奏家の育成・紹介にも力を注ぐ中村さん。大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した「チャイコフスキー・コンクール〜ピアニストが聴く現代」(88年)などの著作やテレビ出演を通し、聴き手側にも音楽の魅力を発信し続ける。「芸術は人の心を育てる」が変わらない信条。優れた音楽との出合いは、「科学やビジネスといったさまざまな分野での発想の豊かさにつながると思う」と言葉を継ぐ。不況がクラシック音楽界に影を落としていると危機感を持つ時もあるが、「本物の音楽がもたらす感動は、決してなくなることはない」。確信に満ちた表情で、クラシック音楽の未来を見据える。
♪中村 紘子デビュー50周年記念全国ツアー(2009年東京公演)
♪9月19日(土)午後6時開演/サントリーホール(リサイタル)
♪11月5日(木)午後7時開演/NHKホール(NHK交響楽団と共演)
♪12月12日(土)午後6時開演/東京文化会館(リサイタル)
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