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“地から湧く声”演劇に 劇団文化座代表・佐々木愛さん |
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現在は女優のほか、劇団代表として、時にはプロデューサーの立場で舞台の指揮を執る佐々木さん。「私が出演しないお芝居も多いですよ。来年の75周年には文化座に縁の深い沖縄を舞台としたオリジナル劇を予定しています。自分が出演するかも含め、現在その構想を練っている最中です」 |
劇団創立75周年、代表作「びっくり箱」再演
戦前より「地から湧いた演劇」をモットーに数々の硬派なステージを熱演してきた劇団文化座が、来年75周年を迎える。演出家の父・佐佐木隆、女優の母・鈴木光枝に次いで3代目代表を務める女優・佐々木愛さん(73)は、「インターネット全盛の現代こそ、情報の氾濫で埋もれている、“から湧き出る”苦悩の声をくみ上げたい。それを演劇の形で具現化するのがわれわれの存在意義です」と語る。今後、75周年の一環として過去に大ヒットを博した、劇団の“財産劇”再演を予定しており、9月の舞台「びっくり箱」では、母が好演した役どころに挑む。
「私が幼少時、母が家事をした記憶がありません。舞台に立ち続け、亡くなるまで女優でした」と母・鈴木光枝の思い出を語る佐々木さん。その母が過去に演じた舞台を同じ役どころで演じたことは何回かあるが、いつも大きなプレッシャーがあるという。
ただし過去の母の演技を再現するだけでは、現在に演じる意味がない。「新鮮さや共感を呼ぶ舞台にしたいです。具体的にどう演じるかは、稽古を通じてこれから考えていきます」とほほ笑む。
佐々木さんが生まれたのは1943年。戦時の言論状況でも、社会の底辺にいる人たちの声なき声に光を当てた文化座主宰の父・隆と、女優だった母・光枝の間に生を受けたが、両親は舞台に明け暮れる生活。幼い佐々木さんの面倒を見てくれたのは父の姉だったという。
その佐々木さんも高校入学後に演劇の道を志し、60年に両親のいる文化座の門をたたく。実は研究生として修業を積んだ後、自分にあった劇団を探すつもりだったという。
だが、当時の文化座はゴッホの評伝劇「炎の人」(作:三好十郎)や、寒村に暮らすある女性の一生をつづった「荷車の歌」(原作:山代巴)などヒット作を連発。「娘の目から見てもよい仕事をしていると思い、ぜひこの劇団に入りたいと思うようになりました」
佐々木さんは62年、正式な団員に。だがそのころから父が体調を崩すようになる。不治の病…。そして67年、58歳で父が死去した。
カリスマだった父亡き後、劇団をまとめることができるのは母しかいなかった。佐々木さんも劇団を支えるため、舞台のほかにテレビ出演を重ね多忙を極めることに。「当時の劇団は月給制。テレビ出演は団員の給料を稼ぐためでした。父が亡くなる前でしたが、一時過労で心身ともに摩耗し、死のうと思ったことも…」と苦しかった時代を振り返る。
“命縮める”熱演
母の率いた文化座でも「地から湧いた演劇」は引き継がれた。ただし母・光枝が主演し女性の立場を代弁する舞台が多くなる。特に旅の女芸人を描いた「越後瞽女(ごぜ)日記」(原作:斎藤真一)や、“からゆきさん”がテーマの「サンダカン八番娼館」(原作:山崎朋子)などは多くの好評を博した。
その中で佐々木さんも数々の舞台に出演。「越後瞽女日記」では母と共に三味線を実際に舞台で演奏。さらに貧しい農村での夫妻の愛憎を描いた「ひとり芝居 越後つついし親不知」(原作:水上勉)では、母より「命を縮める」と止められるほどの熱演を披露。舞台女優として確固たる地位を築き上げた。
その後、体が衰えてきた母をフォローするうちついに87年、代表を継ぐことに。「おたくは新劇なのに世襲なんですね」と嫌みも言われたりしたが、それも承知の上。全ては劇団存続のためだった。
その後30年、文化座は構成員や運営の面などで、両親のころよりだいぶ変わったと佐々木さん。いまや佐々木さんが育てた若手が主力を務める劇団となったが、「地から湧いた演劇」のモットーは変わらない。「現在にも通じる表現にブラッシュアップし演じ継ぐことが、3代にもわたり長く続く劇団の存在意義だと思います」 |
撮影:坂本正郁 |
「びっくり箱」
9月1日(木)〜11日(日)、シアターX(JR両国駅徒歩3分)で。全11公演。
カナダの農場主ジャックとその貞淑な妻モーリーン。ジャックは息子夫婦に農場を譲りフロリダに別荘を購入。妻と2人での楽隠居を試みるが、この“サプライズ”に妻が大反対、家族を巻き込む大げんかに…。
自立を決意した女性とそこに巻き込まれる家族の大慌てを描いたホームコメディー。
作:アン・チスレット、演出:西川信廣、出演:佐々木愛、佐々木梅治、阿部敦子、藤原章寛、兼元菜見子ほか。
全席指定。一般5500円。問い合わせは劇団文化座 Tel.03・3828・2216 |
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