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  東京版 令和3年9月上旬号  
困難なとき…心に響く曲を  医師でピアニストの上杉春雄さん

上杉さんは、ときどき病院で患者を対象にした院内コンサートを開いている。かつて上杉さんの生演奏を聴いた患者から、「病気になってからの10年間で、初めて病気を忘れた時間を過ごせました」と感謝されたことが強く心に残っているからだ。「私の演奏で患者さんが病気を忘れてもらえるのなら、病院で演奏する意味があると思っています」
9月23日、バッハ「ゴルトベルク変奏曲」を演奏
 17世紀から18世紀半ばを生きた大作曲家・バッハが50代半ばの困難な時期に「最高の音楽」を追求して作曲したのが「ゴルトベルク変奏曲」と評価する医師でピアニストの上杉春雄さん(54)。23日に浜離宮朝日ホールで催されるコンサート「『ゴルトベルク変奏曲』で満たされる一日 チェンバロ、ピアノ、弦楽五重奏によるJ.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲」に出演する。「実生活の苦労や時代の変遷と相対しながら、それに負けずに新しい世界を開こうと作曲したこの曲は、コロナ禍で不安な生活を強いられている今、多くの人の心に響くものがあると思います」

 コロナ禍で演奏活動を停止していた上杉さんにとって約1年半ぶりとなる23日のコンサート。上杉さんらがチェンバロとピアノ、それにソリスト5人による弦楽五重奏で「ゴルトベルク変奏曲」をそれぞれ演奏し、同曲で“満たされる一日”を実感してもらおうという企画だ。

 「『ゴルトベルク変奏曲』は、65歳で亡くなったバッハ晩年期の最初に位置付けられる作品。カノンという古い形式を使いながら、両手が交差する超絶技巧により演奏することで、古さと新しさを融合した、より高次元の音楽を目指した曲です」と話す上杉さん。

“勤め人バッハ”に共感
 「ゴルトベルク変奏曲」を作曲した当時、バッハは上司との摩擦や経済的な問題など実生活の苦労を抱え、弟子からも「時代遅れ」と批判されるような“時代の変遷”と正面から相対していた。「50代半ばだったバッハは雇用主のライプチヒ市(ザクセン選帝侯領=現・ドイツ=の商都)とたびたび衝突していました。教育者として雇用した市当局に対して、音楽家としての活動を広げたいバッハは転職を試みますが、うまくいきませんでした。結局、オペラ作家としての自らの可能性をつぶしてまでライプチヒにとどまり、新作発表の場を不当に奪われたりもしています」。ちなみにバッハは現在のドイツの版図を出ることなく、教会や地方領主、市などに雇用された給与所得者として一生を終えている。「僕も50代半ば。現役最後のターンに差し掛かった給与所得者として、この時代のバッハの立場には共感を覚えます」

 北海道・芽室町に生まれた上杉さんは、札幌市内の病院に脳神経内科医として勤める一方、ピアニストとしてこれまで演奏活動や音楽CDを発表してきた。両親が教育者という家庭に生まれ、5歳からピアノを学びクラシック音楽に親しむ。FM放送のクラシック番組はほとんどをラジカセでエアチェックしたというほどの音楽好きで、20世紀最高のピアニストの一人と称されたリヒテルが弾くバッハの「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は繰り返し愛聴していたという。

中学で「両立」模索
 12歳のときリサイタルデビュー。その年、ヨーロッパに行く機会があり、現地の音楽関係者から強く留学を勧められるが、「留学すれば、自分の将来は音楽家に絞られてしまう」と踏み込むことができず帰国。その後も1年程度悩んだという。そして中学生なりに下した結論が、「体の営みを守る仕事に関われば、人生は無駄ではなかったと思えるのではないか」と医者になることを決意。このことが医師と音楽家の道を歩む人生の始まりだった。

 中学卒業後は、札幌南高校、北海道大学医学部へと進学。同大学を卒業した後、医師として医療の最前線で活動してきた。脳神経内科医として道内の病院長などを経て現在、2つの病院で診療を行っている。  一方、演奏活動は一時中断した後、大学生になってから本格的に再開。ライブ録音を集めたアルバムを自主制作したのが縁で、大学3年のときに東芝EMIから「『ペトルーシュカ』からの3楽章/組曲『展覧会の絵』」でCDデビュー。これまでサントリーホールや紀尾井ホールなどでソロリサイタルを開くとともに、東京フィルハーモニー交響楽団などと共演。2012年に発表したCD「平均律クラヴィーア曲集第1巻」と18年の「ゴールドベルク変奏曲」は、クラシック音楽の月刊専門誌「レコード芸術」特選盤に選ばれた。

時間の使い方工夫
 医師とピアニストという異なる分野で活動し、それぞれ“プロ”のレベルで両立させている上杉さん。コロナウイルス感染患者を診ることはないが、脳神経内科医として「いったん主治医となれば継続的な対応が求められ、24時間医者であり続ける必要があります」。そんな仕事であるため、音楽の研究や練習は、「意識して時間をつくり、演奏活動は規定の休暇を使って行っています」と話し、時間の使い方を工夫しながら医師とピアニストを両立させている。

 「これからもバッハの音楽の研究と実践(演奏)をライフワークとしながら医師、音楽家の両方でより良い仕事をしていきたい」と言う上杉さんが指針としている言葉がバッハの、「一つからすべてを、すべてを一つに」。その言葉を自分自身に当てはめ、「医者をやっているからこういう音楽なんだな、音楽をやっているからこういう医療をしているんだな、と受け止めてもらえるような姿が理想」と話す。

♪「ゴルトベルク変奏曲」で満たされる一日
 チェンバロ、 ピアノ、弦楽五重奏によるJ.S.バッハ/ゴルトベルク変奏曲

 23日(木・祝)、浜離宮朝日ホール(地下鉄築地市場駅すぐ)で。

 午後1時15分から第1部:チェンバロ、4時15分から第2部:ピアノ、7時15分から第3部:弦楽五重奏の3部構成で、バッハ「ゴルトベルク変奏曲 BWV988」を演奏。

 出演は渡邊順生(チェンバロ)、上杉春雄(ピアノ)、弦楽五重奏(バイオリン:松原勝也、同:富井ちえり、ビオラ:中恵菜、チェロ:福崎茉莉子、コントラバス:吉田秀)。このほか音楽学者・指揮者の樋口隆一ら多彩なゲストによるトークも。全席指定。第1〜3部通し券8000円。各部単独券3500円。

 問い合わせはミリオンコンサート協会Tel.03・3501・5638

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