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あきらめないで、逆転優勝 箱根駅伝の教訓を人生に生かす 箱根駅伝元解説者/横溝三郎さん |
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素潜りが趣味の横溝さん。冬でも潜る。「現役の方も忙しいなかでも趣味を持つことをお勧めします」 |
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正月の風物詩・東京箱根間往復大学駅伝競走、通称「箱根駅伝」。この箱根駅伝の解説を25年務めた横溝三郎さん(67)は、2006年をもって解説を引退した。学生時代は中央大学の箱根駅伝6連覇に貢献し、現在はパナソニック女子陸上競技部監督を経て、顧問を務める。「箱根では自分がブレーキになったにもかかわらず、逆転優勝したことがあります。あきらめないこと、支えてくれている周囲への感謝を忘れないことが大切」と人生を振り返った。
1959年から64年にかけて、中央大学は箱根駅伝で前人未到の6連覇を果たした。この記録はいまだ破られていない。横溝さんはこの6連覇中、4年間出場している。緑区中山出身の横溝さんにとって、箱根駅伝は幼いころからのあこがれだった。
箱根駅伝は毎年予想もつかないドラマが生まれ、見る側の心を打つ。数年前、走れない状態でありながら完走してたすきをつないだランナーが話題となったが、実は横溝さんも大学2年生の時に同じ経験がある。
横溝さんがその年担当したのは往路の最後の区間、5区。ひたすらに箱根の山を登り続ける厳しいコースだ。ひざの状態が悪かったこともあり、途中から走ることができなくなってしまった。「体はフラフラして夢遊病者みたい。隣で先輩が怒鳴っている内容が分からない」状態。歩いてはまた走った。絶対にたすきを途切れさせたくない—。その思いだけでなんとか完走したがタイムは大幅に遅れた。優勝をつぶしてしまったという自責の念に駆られ「こんなつらい思いをするなら死にたい」と思った。
ところが奇跡は起こる。翌日の復路で6・7・9区のランナーが区間賞で通過し、少しずつ差をつめて結果逆転で中央大学は見事、優勝旗を手にしたのだ。
「この時、本当にやめないでよかった、と思いました。あそこでやめていたら、その後陸上の世界にはいなかったと思う」と横溝さん。10人で走り9人に助けられる、これが箱根駅伝なのだ。
「自分の持てる力というのは限られていると思います。もちろん選ばれるためには練習しかありません。でもやっぱり周りの支えや計らいがあってようやく力は生きてくるんです。だから周囲への感謝は忘れてはだめですね。これは自分が教える立場になってからも選手たちに終始伝えています」。学生時代、故障してやけになりアルコールに手を出したこともあった。しかしそんな時も励ましや優しい言葉によって立ち直ることができた。そんな自分の経験を思い起こしつつ、この25年間、温かい目線で実況してきた。
箱根駅伝の解説は、NHKのラジオで8年、その後日本テレビで17年受け持った。解説には事前取材がかなり物を言う。中には代理人を取材に行かせる人もいるが、横溝さんは夏の記録会辺りから自分の足で各校を回り、選手や監督に話を聞いて資料を作った。身長、体重、走法から家族構成まで調べ、2週間かけてすべて覚えて中継に臨む。「そのおかげでぼけなかったのかもしれません(笑)」。そして06年を最後に、ようやくたすきを渡すことにした。
これまでの人生に点数を付けるならと聞くと「満点でしょうか」。さっぱりとした答えが返ってきた。オリンピック出場後は思うような成績が出ず競技をいったんはあきらめサラリーマンとして過ごした時代もあったが、中年を過ぎてまた陸上の世界に戻ることができた。逆転勝利はいつだって起こり得るのだ。
「ことしの正月は女房とこたつで一杯やりながら箱根を見るつもり」とにこにこ。ようやく手に入れた、「定年」を十分満喫する。
[横溝三郎 / プロフィール]
1939(昭和14)年横浜市生まれ。横浜高等学校に入学し、高校総体でジュニア世界新記録を更新。中央大学卒業後ドイツへ留学し、東京オリンピックでは3000メートル障害物に出場した。現在はパナソニック女子陸上競技部顧問を務める。 |
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